チャングムが始まってしまうので手短に。最終回は見逃したくないです。
今日の夕方、担任から電話がかかってきました。タイミング的に、ああ例の、と思いましたが昨日記事に書いたことは自分の中で収束してしまったから、どうして今更?という思いで話しました。案の定そういう話で、話を蒸し返すような話でした。自分にとっては腹立たしく、古傷に触れるというわけではないにしても、すっかり忘れるくらいに自分の中では終わっていたので、一応確認だからと言われてもなんだか釈然としません。かえって傷付けられた気分です。結局、教師はどこまでいっても教師にしかなれないんだ、と思わせてしまうような出来事でした。いやだなあ。
さて、昨日ちらっと言った口ぐせ。実はすでにこのブログのどこかで使っている可能性があります。もちろん、以前から口ぐせになってしまった「~的な」は、先ほどの「タイミング的に~」で使ってますが、それに加えて最近気付いた口ぐせ。
最近、晴れの日の綺麗な月を見たり、曇りの日でも空気が澄んでいたり、夕方の川沿いを大声で歌いながら走る学生を見たり、犬の散歩を見たり、車はうるさいほど多くても交差点で一斉に動き出したり止まっていたりするのがなんとなく素敵だなと思うことがあります。
当然、綺麗な月はああ素敵だな、と思うのですが。それだけに限らず、曇り空でさえ綺麗だな素敵だなと思う。その時に、綺麗だな素敵だな、ではあまりに表現が平易すぎて色々と表現を考えるのだけれど、やっぱりすぐにぱっと出ては来ないので、そういう時にとっさに使ってしまうのが「~のがいい」です。例として、早朝の空気の中ケーキ屋の店の前を店員さんが掃除しているのがいい、というもの。(ああ、結局チャングム見てから書いているなあ)
何がいい、と言われても上手く答えられないからそういう風に使ってしまうのですが。例の場合なら、一日が始まる雰囲気の新しさが気持ちよく素晴らしいものに感じられ、また甘い香り漂う小さなケーキ屋の前を掃除している店員さんを見て頑張っているなあ私も頑張りたいなあと思い嬉しくなる。そういう感じでしょうか。熟語やいくつかの単語でそういった気持ちを表したいのですが、どうも語彙が弱いので。
それに、どうしていいなあと思うのかよくわからない時もあります。たとえば、先ほどの秋の暗い夕方、車が一斉に動き出すの辺り。なぜか面白いな、と思います。そしてそれは、恐らくこの口ぐせの元であるものに近い感覚だと思います。それというのは、「をかし」や「あはれ」です。
古典を読んでいると、たとえば枕草子などの春はあけぼの冬はつとめてが有名ですが、そういった感覚に近いです。古典の場合(特に日本のもの)、ただ一般的に綺麗とされるものに対してのみ使われるのではなく、花が咲く時はもちろんのこと散る時も、「しみじみとした趣がある」とよく書かれています。物語(古典)でも、男性が女性を見てかわいいと思うのは、ただ外見のかわいらしさだけでなく泣いている様子、怒っている様子も含まれています。だから、その「しみじみとした趣がある」という感覚に近く、自分の場合それが「~(するの)がいい」になったのだなと思います。
チャングム終わってしまいました。ソホンが可愛らしくて楽しかったです。そしてやっぱりシン先生の笑顔がなくて、チャンドクさんは素敵でした。皇后様(皇太后様)は賢い人で、最後はびしっとかっこよかったです。チュンジョン王が崩御したのが1544年なら、8年後は1552年。日本ってその頃何してたのかな。織田信長はまだ。鉄砲とかキリスト教が入ってきた辺り? 倭寇っていつ頃多かったっけ。…勉強しないとなあ。
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