第一志望校のオープンキャンパスに行ってきました。公立なのですが校舎もきれいで、模擬授業もなかなか面白かったです。ただ、恐ろしく眠くて最初の挨拶やら説明やらの時にうとうと。第一希望のところだというのに眠ってしまうとは。やはり最近の寝不足が原因ですかねえ。
土曜日はブレイブストーリーを見てしまいました。まだゲド戦記の感想も書けていないというのに。でも、ゲド戦記の方は期待が大きかったためか、あまり期待していなかったブレイブストーリーの方が面白く感じました。しかしやはり、面白く感じたのはブレイブストーリーでも、自分としてはゲド戦記もブレイブストーリーもどっちもどっちという気がしました。しかし思うに、ブレイブストーリーは原作者がアフレコに参加していたり、有名タレントを声優として多く使っていたり。お祭り的な映画だと感じ、ゲド戦記は逆に作品的。当然、ブレイブストーリーも「伝える」意味としての作品的要素はあるものの、やはり強烈なまでの現実味の表現ではゲド戦記。しかしブレイブストーリーは場面展開もよく、キャラクターや小物のデザインもよかったし、主題歌もなかなか。方向性が違う映画なので、比べてもどうしようもないけれど、比べたところでどちらも同じだと思う。
そのように様々な思いに浸りながら日々を過ごしていると、最近は寝るのがAM2:00ごろになってしまって、このようにここに記事を投稿するのは、大抵そのような時間。今とか。だから、「今日」と書いていることは日付上は「昨日」の出来事になる。それで、日曜日は全国模試があったのに、試験中でさえ眠気が襲ってきた。危ない。
でも、その日の帰りは中学時代の友人と会って楽しかった。へえ、みんなそれなりに忙しくしてるんだねえ。
そうそう、最近不思議な口癖があって、気がつくと使っていて、使ってしまったからああ使ってしまったと思う。それは「ナントカ的なナニナニ」というもので、例えば、この記事のブレイブストーリーとゲド戦記のところで「お祭り的」やら「作品的」やら使ったけれど、これらは実際に辞書に載っている言葉などでは当然ない。現代文の評論なのでよくあるような筆者の造語的感覚(って、また早速使ってますが)で使っているのだと思う。
さらにそれらは「造語的」やら「作品的」やらという表現を離れ「月が明るいから提灯はいらない的な日だよね」とかいう表現になります。ながいながい。結構無意識に使っているのですが、それはいったいどこから来たのか考えてみました。
よくよく考えると、最近忙しくて会っていないが、以前クッピーラムネ記念日の時に普通にプレゼントをくれたバラ子ちゃんがそういう使い方をしていた気がする。だとしたら、それはそれで喜ばしくないなあ。なんか同じ喋り方って嫌だなあ。
使わないように頑張る的な結論に至って終わり。
そういえば、最近月がきれいで、一瞬電灯かと思います。びっくりです。
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